斎田道開
1796(寛政8)~1868(明治元)年
斎田伊三郎(後の道開)は、1796(寛政8)年に佐野村(現在の能美市佐野町)の豪農桶屋伊三右衛門の長男として生まれました。16歳の頃に再興九谷窯の若杉窯へ行き、本多貞吉から製陶の技を習いました。貞吉の病没後は、赤絵の名工といわれた三田勇次郎に師事し、赤絵とその色彩法を6年間学びました。その後、山代や京都・肥前・尾張・美濃・丹波等、全国の窯業地を巡って陶技や製陶上の知識を習得し、1830(天保元)年に戻りました。
若杉窯や隣村の小野窯で活躍した後、1835(天保6)年に独立、郷里の佐野村で陶画塾を開き多くの門弟を集めました。1858(安政5)年には、佐野地内や鍋谷山で良質の陶土が発見されたこともあり、素地生産の窯を作りました。これが佐野窯の起こりになり、産業化を進めるため、上絵付と素地製作の分業を早くから提唱しました。また「二度焼き技法」を生み出し、現代に続く佐野赤絵の作風を確立しました。伊三郎は佐野赤絵の祖として、橋田与三郎や冨田松鶴ら大勢の門人を育てました。晩年には「道開」と号し、1868(明治元)年に病のため73歳で没しました。(1804(文化元)年生まれで享年65歳とする異説あり)