若杉窯 1811(文化8)~1875(明治8)年
江戸後期のいわゆる再興九谷諸窯のなかで、藩の殖産興業のため、磁器生産の大工場化したものが、若杉窯です。現在の小松市若杉にありました。若杉村を治める十村役林八兵衛の瓦窯でしたが、青木木米の弟子だった本多定吉が若杉近隣の花坂山で磁器原料の陶石を発見し、それを八兵衛の窯で焼いたのが若杉窯のはじまりです。やがて藩の直轄窯となり、職人が全国から集まり、その中に阿波徳島の赤絵勇次郎という名人がいました。
写真は本多貞吉(松本佐太郎写)部分:石川県九谷焼窯元工業協同組合所蔵(画像提供:小松市立博物館)
若杉窯 1811(文化8)~1875(明治8)年
江戸後期のいわゆる再興九谷諸窯のなかで、藩の殖産興業のため、磁器生産の大工場化したものが、若杉窯です。現在の小松市若杉にありました。若杉村を治める十村役林八兵衛の瓦窯でしたが、青木木米の弟子だった本多定吉が若杉近隣の花坂山で磁器原料の陶石を発見し、それを八兵衛の窯で焼いたのが若杉窯のはじまりです。やがて藩の直轄窯となり、職人が全国から集まり、その中に阿波徳島の赤絵勇次郎という名人がいました。
写真は本多貞吉(松本佐太郎写)部分:石川県九谷焼窯元工業協同組合所蔵(画像提供:小松市立博物館)
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