小田 清山 1874(明治7)~1960(昭和35)年
小田清太郎(号・清山)は、明治7年(1874)に、現在の白山市に生まれました。12歳で陶工を志し、明治・大正期の佐野の名工で「道開風」の赤絵を得意とした西本源平の門人・樋口弥三松に陶画を学びます。明治27年(1894) には、佐野の小田家養嗣子となり、この頃から毛筆細字技法の研鑽に励みました。明治28年(1895)、当時金沢で細字を創始したとされる野村善吉に師事し、洋盃、湯呑などの内側に漢詩などの細字を書いていました。明治44年(1911) からは、自ら工夫して万葉草仮名や変体仮名を用い、百人一首や謡曲などを書き、毛筆細字技法の基礎を築きました。特に、径八分(2.4cm)の小さな小楊枝立に6,011字を書いた作品は、肉眼かつ毛筆のみを使って書いたもので、独特の妙技として有名になりました。弟子には娘婿の田村金星がおり、現在毛筆細字の技術は、田村敬星氏、田村星都氏へと受け継がれています。KAM 能美市九谷焼美術館 陶工・陶商・作家一覧