古九谷 1655(明暦元)~1710(宝永7)年

九谷焼のルーツは古九谷です。370年以上前に誕生しました。時は江戸時代前期、三代加賀藩主前田利常は、芸術文化で徳川に対峙し加賀百万石の威信を天下に示そうとしていました。折も折、大聖寺藩領奥山方九谷村において、磁器の原料である陶石が金鉱山の開発中に発見されました。それを契機に利常の三男で大聖寺藩主の利治は、色絵磁器の生産を目論み、金工鋳金師後藤才次郎定次に九谷焼の誕生を委ねたのです。窯業技術は九州肥前伊万里から導入され、定次の嗣子忠清がかの地に出向いたとの伝承もあります。九谷村には、肥前式の登り窯が2基、色絵付け窯が7基、形を留めるものが2基、その跡が確認されており「九谷磁器窯跡」として国指定史跡となっています。
古九谷には、紺青・朱赤・紫・緑・黄の五彩があります。「五彩手」と呼ばれる様式は、朱赤を控えめに用い残り四彩の寒色系の色合いでまとめ、日本画の花鳥山水のように背景の余白を残します。一方「青手」と呼ばれる様式は、緑と黄を多用し余白無く皿鉢全体を塗り込め、西洋の油絵のような重厚な作りとなっています。力強い骨描きと透明感ある濃厚な色釉薬が最大の特徴です。桃山文化を受け継ぐ華やかさと重厚さを兼ね備えた古九谷の色絵付は、公家文化と武家文化を融合させたまさに加賀前田家好みといえるものでしょう。

古九谷 1655(明暦元)~1710(宝永7)年

九谷焼のルーツは古九谷です。370年以上前に誕生しました。時は江戸時代前期、三代加賀藩主前田利常は、芸術文化で徳川に対峙し加賀百万石の威信を天下に示そうとしていました。折も折、大聖寺藩領奥山方九谷村において、磁器の原料である陶石が金鉱山の開発中に発見されました。それを契機に利常の三男で大聖寺藩主の利治は、色絵磁器の生産を目論み、金工鋳金師後藤才次郎定次に九谷焼の誕生を委ねたのです。窯業技術は九州肥前伊万里から導入され、定次の嗣子忠清がかの地に出向いたとの伝承もあります。九谷村には、肥前式の登り窯が2基、色絵付け窯が7基、形を留めるものが2基、その跡が確認されており「九谷磁器窯跡」として国指定史跡となっています。
古九谷には、紺青・朱赤・紫・緑・黄の五彩があります。「五彩手」と呼ばれる様式は、朱赤を控えめに用い残り四彩の寒色系の色合いでまとめ、日本画の花鳥山水のように背景の余白を残します。一方「青手」と呼ばれる様式は、緑と黄を多用し余白無く皿鉢全体を塗り込め、西洋の油絵のような重厚な作りとなっています。力強い骨描きと透明感ある濃厚な色釉薬が最大の特徴です。桃山文化を受け継ぐ華やかさと重厚さを兼ね備えた古九谷の色絵付は、公家文化と武家文化を融合させたまさに加賀前田家好みといえるものでしょう。
青手芭蕉図平鉢
KAM 能美市九谷焼美術館|五彩館|所蔵
色絵花鳥図平鉢
KAM 能美市九谷焼美術館|五彩館|所蔵
色絵松鶴図輪花中皿
KAM 能美市九谷焼美術館|五彩館|所蔵
古九谷棗形茶入
KAM 能美市九谷焼美術館|五彩館|所蔵
青手芭蕉図平鉢
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色絵花鳥図平鉢
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色絵松鶴図輪花中皿
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古九谷棗形茶入
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KAM 能美市九谷焼美術館
能美市内九谷焼店舗
KAM 能美市九谷焼美術館
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KAM 能美市九谷焼美術館 陶工・陶商・作家一覧

粟生屋源右衛門
裏銘 秋山画
二代 浅蔵五十吉
井出善太郎商店製
十二代 永楽和全
小田清山
小野窯
笠間竹雪
春日山窯
金井堂造
北出塔次郎
木原行成
玉山堂造
九谷庄三
九谷北山堂 宮荘一藤製
九谷谷口製
古九谷
小酒磯右衛門
斎田道開
沢田南久
酢屋久平
初代 武腰善平
二代 武腰善平
初代 武腰泰山
二代 武腰泰山
谷口金陽堂製
二代 德田八十吉
二代 冨田松鶴
三代 冨田松鶴
中川二作
初代 橋田与三郎
三代 橋田与三郎
本源堂
松原新助
初代 松本佐吉
松本佐平
松山窯
道本七郎右衛門
宮本屋窯
民山窯
森 一正
吉田屋窯
蓮代寺窯
若杉窯
綿谷平兵衛製 松岳画
綿野製