笠間 竹雪 1971(明治4)~1934(昭和9)年

笠間竹雪(市太郎)明治4年(1871)生、昭和9年(1934)歿 明治18年(1885)、15才のとき、幼い時から絵を好んでいたことから、陶工になるため沢田南久の門下に入りました。入門の時から、聡明で進歩的な気性を持っていて先人の九谷庄三を崇敬し、南久の好きな日本画についても深く傾倒しました。そして県立工業学校教授 鈴木華邸の画風を慕い、さらに上京して高島北海に学びました。こうしたことから勇健な筆致と華麗な画風で日本画に多くの作品も残しました。明治36年(1903)、寺井村に工房を開いて陶画に専念し、余技として日本画も描き作品を残しました。竹雪と号しました。井出善太郎の経営する絵付工場の顧問として名をとどめました。善太郎の勧めで「緋色釉龍文花瓶」を農商務省主催美術工芸展(農展)に出品し入賞し、県の買上げとなり世人を驚かしたことがあります。門人に、北村与三吉、平田平松、石田常次郎、吉田才幸、高田伝一郎、梅田梅光、倉田彩幽、末川泉山、松本佐吉、中嶋寿山、中嶋珠光ら、後に名匠となったものが多くいました。

笠間 竹雪 1971(明治4)~1934(昭和9)年

笠間竹雪(市太郎)明治4年(1871)生、昭和9年(1934)歿 明治18年(1885)、15才のとき、幼い時から絵を好んでいたことから、陶工になるため沢田南久の門下に入りました。入門の時から、聡明で進歩的な気性を持っていて先人の九谷庄三を崇敬し、南久の好きな日本画についても深く傾倒しました。そして県立工業学校教授 鈴木華邸の画風を慕い、さらに上京して高島北海に学びました。こうしたことから勇健な筆致と華麗な画風で日本画に多くの作品も残しました。明治36年(1903)、寺井村に工房を開いて陶画に専念し、余技として日本画も描き作品を残しました。竹雪と号しました。井出善太郎の経営する絵付工場の顧問として名をとどめました。善太郎の勧めで「緋色釉龍文花瓶」を農商務省主催美術工芸展(農展)に出品し入賞し、県の買上げとなり世人を驚かしたことがあります。門人に、北村与三吉、平田平松、石田常次郎、吉田才幸、高田伝一郎、梅田梅光、倉田彩幽、末川泉山、松本佐吉、中嶋寿山、中嶋珠光ら、後に名匠となったものが多くいました。
色絵牡丹に孔雀図花瓶
KAM 能美市九谷焼美術館|五彩館|所蔵
色絵牡丹に孔雀図花瓶
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KAM 能美市九谷焼美術館
能美市内九谷焼店舗
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KAM 能美市九谷焼美術館 陶工・陶商・作家一覧

粟生屋 源右衛門
裏銘 秋山画
二代 浅蔵五十吉
井出 善太郎商店製
十二代 永楽 和全
小田 清山
小野窯
笠間 竹雪
春日山窯
金井堂造
北出 塔次郎
木原 行成
玉山堂造
九谷 庄三
九谷北山堂 宮荘 一藤 製
九谷谷口製
古九谷
小酒 磯右衛門
斎田 道開
沢田 南久
酢屋 久平
初代 武腰 善平
二代 武腰 善平
初代 武腰 泰山
二代 武腰 泰山
谷口金陽堂製
二代 德田 八十吉
二代 冨田 松鶴
冨田 外次郎
中川 二作
初代 橋田 与三郎
三代 橋田 与三郎
本源堂
松原 新助
初代 松本 佐吉
松本 佐平
松山窯
道本 七郎右衛門
宮本屋窯
民山窯
森 一正
吉田屋窯
蓮代寺窯
若杉窯
綿谷 平兵衛製 松岳画
綿野 吉二商店製