十二代 永楽和全 1823(文政6)~1896(明治29)年
永楽和全は千家十職の土風炉・焼物師永楽家十二代善五郎のことで、江戸時代末期から明治時代にかけて京焼の名工として活躍しました。九谷焼の指導者として大聖寺藩から招聘を受け、一族郎党12名を引き連れて京都から加賀山代へ来たのは、1865(慶応元)年のことです。山代には吉田屋・宮本屋の窯を継いだ藩営九谷本窯が藩産物方のもとで稼働していましたが、製造が思うようにならず、藩から管理を委託されていた藤掛八十城と三藤文次郎は技術面で行き詰まり、藩の学者東方芝山に相談をしました。芝山は藩内有数の産物九谷焼等を江戸・京・大坂の三都に売り込み、藩財政を豊かにすることを藩主に建言していました。藩は山代の陶工木崎万亀に京にて永楽のもとで弟子として修行することを命じました。帰藩後、万亀は山代春日山に築窯を許されましたが、九谷本窯の再興には永楽の招聘が必要と訴えました。藩内北前船主の西野小左衛門は文人として永楽と親交があったことから招聘に尽力する等、多くの加賀の人々が関わって九谷本窯の指導者として永楽の招聘が実現しました。通算6年間在藩し、藩との契約期間3年が終わった後は、民営に変わっていた松山窯・木崎窯で作陶にあたりました。KAM 能美市九谷焼美術館 陶工・陶商・作家一覧