民山窯 1822(文政5)~1844(弘化元)年
江戸後期の文政5年(1822)、加賀藩士武田秀平(号、民山・夕月等)が、春日山窯跡に民山窯を開窯しました。窯では、素地師の山上屋松次郎(本多貞吉の高弟)、絵付師の任田屋徳右衛門とその子徳次や、鍋屋吉兵衛ら名エがおり、絵付は自邸に錦窯を設けて、磁器による色絵の優美精良な鉢、皿、徳利などを製作しました。中国風文様などが独特のデザインで表現され、作品には『民山』の銘が記されています。弘化元年(1844)、秀平は没し、民山窯はその業を閉じます。色絵作品の中でも金彩を加えた赤絵細描の技法は、赤絵九谷の先駆となり、山代の宮本屋窯(1832-59)の八郎手にも受け継がれています。KAM 能美市九谷焼美術館 陶工・陶商・作家一覧