沢田 南久 1845(弘化2)~1922(大正11)年
沢田南久は弘化2年(1845)に寺井村で生まれました。安政3年(1856)の12歳のとき、陶画業をしていた叔父の久四郎に入門しました。懸命に修業している最中に叔父が亡くなりましたが、諸大家の画図や絵本を収集して独学し、3年後に陶画業として独立しました。 文久元年(1861)、自宅を絵付工場にし、また「南久」と号して生徒の養成にあたりました。慶応2年(1866)には、金沢の林所平、高岡の蓮花寺利三郎を招くなどして、当時寺井村で盛んに制作されていた「庄三風」だけでなく、画風の改良に腐心し、実力を身に付けました。向学心に燃えていた南久はその後も師を求めて研修を続け、岸光景や納富介次郎から陶画を学び、またドクトル・ワグネルから和絵具改良の指導を受け、後に新しい顔料を開発しています。それは現在も使われている顔料の基礎づくりとなりました。 画風は和絵具と洋絵具を使い、緑、紫、黄を好んで用いて、綿密に描かれた花鳥は寺井九谷の基礎となった色調を帯びていました。KAM 能美市九谷焼美術館 陶工・陶商・作家一覧