裏銘 角福
若杉窯は江戸後期に現在の小松市若杉町で開窯した再興九谷窯の一つです。きっかけは文化4年(1807)に金沢の春日山窯に来窯した京焼の名工青木木米の助工だった本多貞吉が、金沢近郊に無かった磁器原料の陶石を探し求め、小松の花坂山に見つけたことにあります。若杉村の十村役を勤める林八兵衛の助力を得て、彼の営む瓦窯で花坂の陶石を利用して、文化8年(1811)磁器焼成に成功します。師の青木木米は古九谷にあこがれて加賀藩にやってきた経緯もあって、師が去った後も貞吉はその再興に情熱を傾けます。やがて加賀藩直轄の藩窯となり、量産向きの染付作品を多く焼くことになりますが、古九谷風の作品も散見できます。