末川泉山
末川泉山は、三代にわたりつづく寺井の絵付作家であり、人物・花鳥・楼閣・山水を得意としてきました。初代末川泉山(末川米吉・1871~1928)は明治から大正にかけて寺井で活躍した名工の一人で、九谷庄三の弟子・西村某(白樹か?)に師事していました。同輩には九谷焼作家兼日本画家の笠間竹雪がおり、彼の工房にも出入りしていました。初代の長子として生まれた二代末川泉山(末川恒義・1897~1959) は、幼くして笠間竹雪に師事し、酉年生まれであることから、鶏、孔雀、鳳凰、金鶏を得意としていました。三代末川泉山(中川鉄男・1929~2011)は二代の甥にあたり、陶芸家・森一正に師事しながらも、先代の業を受け継ぎ、日展や現代美術工芸展に創作的な作品を出品し、本県九谷業界の中堅として知られていました。歴代末川泉山が師事した西村某(白樹か?)・笠間竹雪・森一正の系譜を遡ると、寺井を代表する九谷焼作家・九谷庄三の教えや技術・手法などを受け継ぎ、または取り入れた作家たちであり、末川泉山もその継承者の一人といえます。そのため、作品名にも含まれているように、「庄三風」の画風が大きな特徴です。
末川泉山
末川泉山は、三代にわたりつづく寺井の絵付作家であり、人物・花鳥・楼閣・山水を得意としてきました。初代末川泉山(末川米吉・1871~1928)は明治から大正にかけて寺井で活躍した名工の一人で、九谷庄三の弟子・西村某(白樹か?)に師事していました。同輩には九谷焼作家兼日本画家の笠間竹雪がおり、彼の工房にも出入りしていました。初代の長子として生まれた二代末川泉山(末川恒義・1897~1959) は、幼くして笠間竹雪に師事し、酉年生まれであることから、鶏、孔雀、鳳凰、金鶏を得意としていました。三代末川泉山(中川鉄男・1929~2011)は二代の甥にあたり、陶芸家・森一正に師事しながらも、先代の業を受け継ぎ、日展や現代美術工芸展に創作的な作品を出品し、本県九谷業界の中堅として知られていました。歴代末川泉山が師事した西村某(白樹か?)・笠間竹雪・森一正の系譜を遡ると、寺井を代表する九谷焼作家・九谷庄三の教えや技術・手法などを受け継ぎ、または取り入れた作家たちであり、末川泉山もその継承者の一人といえます。そのため、作品名にも含まれているように、「庄三風」の画風が大きな特徴です。
牡丹孔雀
ほてい堂