粟生屋源右衛門 1789(寛政元)~1863(文久3)年
粟生屋源右衛門は若杉窯において本多貞吉のもとで製陶の技能を習得することに励み、若くして主工を務めるようになりましたが、貞吉の教えを受けながら後に「青九谷」と呼ばれる九谷焼の様式を研究し続けました。貞吉の没後も古九谷の再興を目指し続け、1824(文政7)年には吉田屋窯の主工となって、父から受け継いだ楽焼の陶技、若杉窯で貞吉から指導を受けた色釉薬の調合技術や錦窯の焼成技術を磨き、遂に古九谷の再興において大いに貢献をした陶工の一人となりました。そして源右衛門の門下生の中から、九谷庄三・松屋菊三郎・北市屋平吉(号は北玉堂)・板屋甚三郎(小野窯の陶工となる)等の多くの名工が輩出され、彼らもまた九谷焼の発展に貢献しました。