転写による加飾技術について
転写による加飾技術について
転写技法とは、シルクスクリーンで印刷した図柄を印刷した「転写紙」を貼り付け、約800度の上絵窯で焼くことにより定着させる手法です。1975年(昭和50)頃に登場し、少品種で大量生産の必要に迫られていた時代、独自の転写技法(耐焼成シール)を開発し、それまで全てを手描きで仕上げていた九谷焼の生産性は大きく向上しました。過去の粗製濫造により一度はブランドイメージが失墜した九谷焼ですが、クオリティの飛躍的な向上と、生活者が手にとりやすい九谷焼として広まり始めたのです。時代は変わり、世の中はモノで溢れかえっています。生産性の向上として活躍した転写技術は新たな局面を迎え、生産者側は多品種少量生産への転換を迫られました。さらなる品質の向上に加え、デザイン性も見直すことでこの流れに対応し、今でも産業九谷の最先端を牽引し続けることで、九谷焼の新たなブランドイメージを創造しています。
その高度な技術があれば、さまざまなデザイン表現が可能であるにもかかわらず、あくまでも九谷焼の意匠にこだわり続け、九谷焼全体のブランドイメージ向上に大きく貢献してきた株式会社青郊の北野啓太さんに転写技術についてお伺いしました。
転写技法とは、シルクスクリーンで印刷した図柄を印刷した「転写紙」を貼り付け、約800度の上絵窯で焼くことにより定着させる手法です。1975年(昭和50)頃に登場し、少品種で大量生産の必要に迫られていた時代、独自の転写技法(耐焼成シール)を開発し、それまで全てを手描きで仕上げていた九谷焼の生産性は大きく向上しました。過去の粗製濫造により一度はブランドイメージが失墜した九谷焼ですが、クオリティの飛躍的な向上と、生活者が手にとりやすい九谷焼として広まり始めたのです。時代は変わり、世の中はモノで溢れかえっています。生産性の向上として活躍した転写技術は新たな局面を迎え、生産者側は多品種少量生産への転換を迫られました。さらなる品質の向上に加え、デザイン性も見直すことでこの流れに対応し、今でも産業九谷の最先端を牽引し続けることで、九谷焼の新たなブランドイメージを創造しています。
その高度な技術があれば、さまざまなデザイン表現が可能であるにもかかわらず、あくまでも九谷焼の意匠にこだわり続け、九谷焼全体のブランドイメージ向上に大きく貢献してきた株式会社青郊の北野啓太さんに転写技術についてお伺いしました。
株式会社青郊
北野啓太(きたのけいた)さん
株式会社青郊
北野啓太(きたのけいた)さん
現在は99%ほぼ印刷で出来上がっています。印刷と言われると、手作り・手描きのものに比べて安価にできるイメージがつきます。確かにコストに関しては量産することである程度抑えられるのですが、実は製造の過程はかなり複雑で、漆器とかガラス製品などは直接印刷していくのに対し、焼き物の場合は 平面に印刷された転写紙を、職人さんが立体面に一つ一つ手で貼り付けていくという作業があるため、3次元的なデータを一旦2次元の展開図に落とし込む作業が必要になるのです。そのため、どういうかたちのものでも可能な訳ではなく、デザインには制限が出てくることも焼き物印刷の特徴です。
現在は99%ほぼ印刷で出来上がっています。印刷と言われると、手作り・手描きのものに比べて安価にできるイメージがつきます。確かにコストに関しては量産することである程度抑えられるのですが、実は製造の過程はかなり複雑で、漆器とかガラス製品などは直接印刷していくのに対し、焼き物の場合は 平面に印刷された転写紙を、職人さんが立体面に一つ一つ手で貼り付けていくという作業があるため、3次元的なデータを一旦2次元の展開図に落とし込む作業が必要になるのです。そのため、どういうかたちのものでも可能な訳ではなく、デザインには制限が出てくることも焼き物印刷の特徴です。
例えばこの商品(現在は廃番)ですが、平面から貼り付ける際に、シワにならないように引っ張りながら貼るわけですが、手作業での誤差を逃しやすいように間取りの位置を設けてあるとか、文様を設けたというように、実はそれぞれにその意匠の理由があるんです。このそば猪口はぐるっと一周した模様のデザインですが、洋絵の具だと貼り合わせの部分が出てしまうのですが、和絵の具で製作する転写紙の場合、窯に入れて焼くことで絵の具が溶けて混ざり合うので、貼り合わせの部分がわかりにくくなる特徴があります。
例えばこの商品(現在は廃番)ですが、平面から貼り付ける際に、シワにならないように引っ張りながら貼るわけですが、手作業での誤差を逃しやすいように間取りの位置を設けてあるとか、文様を設けたというように、実はそれぞれにその意匠の理由があるんです。このそば猪口はぐるっと一周した模様のデザインですが、洋絵の具だと貼り合わせの部分が出てしまうのですが、和絵の具で製作する転写紙の場合、窯に入れて焼くことで絵の具が溶けて混ざり合うので、貼り合わせの部分がわかりにくくなる特徴があります。
こういうポットの形状とかにもなると、このまま当然平面に張り付けるのは難しいので、例えばこの場合、わざとこういう縦割りでスリットを入れて貼り付けやすくなっているとか、同じ形状でもこっちはわざわざ上中下段に分けてこれぐらいのテンションから何とか張れるみたいな形で分けてあります。
こういうポットの形状とかにもなると、このまま当然平面に張り付けるのは難しいので、例えばこの場合、わざとこういう縦割りでスリットを入れて貼り付けやすくなっているとか、同じ形状でもこっちはわざわざ上中下段に分けてこれぐらいのテンションから何とか張れるみたいな形で分けてあります。
この商品を出した時は、この業界の問屋さんも手塗と間違えたくらい貼り合わせがわからないのですが、実はこの茎の部分に全てスリットが入っています。
この商品を出した時は、この業界の問屋さんも手塗と間違えたくらい貼り合わせがわからないのですが、実はこの茎の部分に全てスリットが入っています。
こういう豆皿はメイン商品の一つですが、この場合は豆皿の形状を決める上で、実際にろくろ師に手引きでこの胴径のサイズであらゆる深さの素地を引いていただいて、どの深さまでなら転写紙を一枚で延ばし、貼ることができるかを洗い出してこの形状になっています。
こういう豆皿はメイン商品の一つですが、この場合は豆皿の形状を決める上で、実際にろくろ師に手引きでこの胴径のサイズであらゆる深さの素地を引いていただいて、どの深さまでなら転写紙を一枚で延ばし、貼ることができるかを洗い出してこの形状になっています。
多品種少量生産という世の中の流れに対応するために、このように職人さんの手間数を減らすことや、数多あるデザインの中でも使用する色数を統一して版数を削減するなど、効率化を見据えながらクオリティを担保し、 九谷焼の圧倒的な生産量を維持しています。
多品種少量生産という世の中の流れに対応するために、このように職人さんの手間数を減らすことや、数多あるデザインの中でも使用する色数を統一して版数を削減するなど、効率化を見据えながらクオリティを担保し、 九谷焼の圧倒的な生産量を維持しています。
製作工程
製作工程
古九谷の紋様などはトレースしたものをそれぞれの色版にわけ、さらに絵の具の濃淡など手書きの風合いを生み出すための版、にじみやぼかし具合などを調整した版など綿密な計算の上で制作されています。
古九谷の紋様などはトレースしたものをそれぞれの色版にわけ、さらに絵の具の濃淡など手書きの風合いを生み出すための版、にじみやぼかし具合などを調整した版など綿密な計算の上で制作されています。
九谷焼で使用されている色味を中心に、使用する色数がコントロールされています。このこだわりこそが最大のポイント。日本全国からのオーダーにそれぞれ対応しても、仕上がる製品に九谷焼の風合いが生まれることが、九谷焼の新しいブランドイメージ向上に大きく貢献しています。
九谷焼で使用されている色味を中心に、使用する色数がコントロールされています。このこだわりこそが最大のポイント。日本全国からのオーダーにそれぞれ対応しても、仕上がる製品に九谷焼の風合いが生まれることが、九谷焼の新しいブランドイメージ向上に大きく貢献しています。
一つの製品で使用される版の数。この数がある意味で手描きを超えたクオリティを生み出している。
一つの製品で使用される版の数。この数がある意味で手描きを超えたクオリティを生み出している。
シルクスクリーンで印刷された転写紙を二人がかりで入念にチェック。多品種少数生産だからこそ、細かいチェックが必要となる。
シルクスクリーンで印刷された転写紙を二人がかりで入念にチェック。多品種少数生産だからこそ、細かいチェックが必要となる。
職人さんの手による転写紙を貼り付ける神ワザのような作業。貼る際には誤差を徹底的に無くし、ゴムヘラで空気を追い出しながらテンションをかけ、完全密着させる。一点一点がかなりの重労働。
職人さんの手による転写紙を貼り付ける神ワザのような作業。貼る際には誤差を徹底的に無くし、ゴムヘラで空気を追い出しながらテンションをかけ、完全密着させる。一点一点がかなりの重労働。
この時点で盛り絵の具の状態も感じられる。
この時点で盛り絵の具の状態も感じられる。
約50名の職人さんから窯に転写されたものが届く。(年間約100万ピース)
約50名の職人さんから窯に転写されたものが届く。(年間約100万ピース)
大きな窯で一気に焼成。
大きな窯で一気に焼成。
焼成後、1点1点検品し、レタッチが必要なものに手を加える。
焼成後、1点1点検品し、レタッチが必要なものに手を加える。
現代の産業九谷を牽引する、本社ショールームに並ぶ完成品。
現代の産業九谷を牽引する、本社ショールームに並ぶ完成品。
「青郊」が転写事業を始めた経緯
「青郊」が転写事業を始めた経緯
 うちは創業してまず100年以上経っていると思うんですけれど、元々は祖父の代までは絵付け工房で自社生産をしていました。昭和の初期から、戦後ぐらいの時は盛絵具、ガラス釉ですよね。和絵具を使った九谷焼は今こそ主流ですが、当時は佐野地区を中心として、きらびやかな、いわゆる金襴手系の九谷焼が主流だったようで、祖父の代から自分で絵具の研究を行い、和絵具を中心に展開した工房でした。今は印刷が主体なのですが、当時から和絵具の研究というのが一番のうちの主軸となるコンテンツで、この牛島地区周辺には盛絵具を使用した職人さんがものすごく多かったんです。
 祖父は昔、うちの親父の高校時代に亡くなっているのですが、当時、業界からも表彰されるほどの貢献度で、そんな和絵具を主体としたもの作りを進めていて、それがうちの会社名の「青郊」の名残りです。青九谷の青から来ています。
印刷を始めたのは父親の代からになりますが、うちの家系は代々、九谷焼を継ぎたくなかった人たちばかりで、うちの祖父も物書きを目指していて、父親も実はエンジニア志望で大学行ったのですが、その頃、実家が色々と大変なことになっていて、大学を中退して、家業を継いだそうです。
 そういう境遇から、当時の父親は、「今から自分が従事する九谷焼ってどんなものなんだろう。」という思いから、帰郷する前に京都や大阪の百貨店の売り場に九谷焼を見に行ったらしいんですね。当時、九谷焼は知名度があるにもかかわらず、価格は高いけどお世辞にも美しいとは言えないものが並んでいるところを目にし、「こんな仕事をしなきゃいけないのか」と、愕然としたらしいのです。そんなことから「消費者が手に取りやすい価格帯で、よりきれいなものを作っていきたい。」というポリシーが生まれ、紆余曲折がありながらもずっと描く職人をやっていたわけなんですけれども、親父が継いだちょうど40年ほど前に「上絵の仕事をどんなにやっていても埒があかない、何かもうちょっと生産性のある仕事をしたいと」いう意思から、吹き付けの仕事に取り組み始めたりしましたが、母子家庭の一番末っ子が家業を継いで、今の建物を住宅兼工房として建ててから約1年くらいで火事を起こしてしまい、それを機に、開き直って印刷というものを研究し始めたことが、今に繋がっています。
 うちは創業してまず100年以上経っていると思うんですけれど、元々は祖父の代までは絵付け工房で自社生産をしていました。昭和の初期から、戦後ぐらいの時は盛絵具、ガラス釉ですよね。和絵具を使った九谷焼は今こそ主流ですが、当時は佐野地区を中心として、きらびやかな、いわゆる金襴手系の九谷焼が主流だったようで、祖父の代から自分で絵具の研究を行い、和絵具を中心に展開した工房でした。今は印刷が主体なのですが、当時から和絵具の研究というのが一番のうちの主軸となるコンテンツで、この牛島地区周辺には盛絵具を使用した職人さんがものすごく多かったんです。
 祖父は昔、うちの親父の高校時代に亡くなっているのですが、当時、業界からも表彰されるほどの貢献度で、そんな和絵具を主体としたもの作りを進めていて、それがうちの会社名の「青郊」の名残りです。青九谷の青から来ています。
印刷を始めたのは父親の代からになりますが、うちの家系は代々、九谷焼を継ぎたくなかった人たちばかりで、うちの祖父も物書きを目指していて、父親も実はエンジニア志望で大学行ったのですが、その頃、実家が色々と大変なことになっていて、大学を中退して、家業を継いだそうです。
 そういう境遇から、当時の父親は、「今から自分が従事する九谷焼ってどんなものなんだろう。」という思いから、帰郷する前に京都や大阪の百貨店の売り場に九谷焼を見に行ったらしいんですね。当時、九谷焼は知名度があるにもかかわらず、価格は高いけどお世辞にも美しいとは言えないものが並んでいるところを目にし、「こんな仕事をしなきゃいけないのか」と、愕然としたらしいのです。そんなことから「消費者が手に取りやすい価格帯で、よりきれいなものを作っていきたい。」というポリシーが生まれ、紆余曲折がありながらもずっと描く職人をやっていたわけなんですけれども、親父が継いだちょうど40年ほど前に「上絵の仕事をどんなにやっていても埒があかない、何かもうちょっと生産性のある仕事をしたいと」いう意思から、吹き付けの仕事に取り組み始めたりしましたが、母子家庭の一番末っ子が家業を継いで、今の建物を住宅兼工房として建ててから約1年くらいで火事を起こしてしまい、それを機に、開き直って印刷というものを研究し始めたことが、今に繋がっています。
啓太さんも本当は別の仕事を目指していたそうです。
啓太さんも本当は別の仕事を目指していたそうです。
株式会社青郊
株式会社青郊