イッチン描きによる加飾技術について
イッチン描きによる加飾技術について
イッチン描きとはイッチンと呼ばれる道具に泥漿状の化粧土等を入れ、素焼き後の素地の上に絞り出して盛るように文様を描いていく方法です。筒描きとも言われます。またイッチンに盛絵具を入れて、本焼き後の素地の上に絞り出して盛る「デコ盛り」もあります。能美九谷でも招き猫やふくろう等縁起置物の製品に古くから使われていますが、装飾として色絵にはない独特の魅力があり、作家の創作活動にも広く使われています。
イッチン描きとはイッチンと呼ばれる道具に泥漿状の化粧土等を入れ、素焼き後の素地の上に絞り出して盛るように文様を描いていく方法です。筒描きとも言われます。またイッチンに盛絵具を入れて、本焼き後の素地の上に絞り出して盛る「デコ盛り」もあります。能美九谷でも招き猫やふくろう等縁起置物の製品に古くから使われていますが、装飾として色絵にはない独特の魅力があり、作家の創作活動にも広く使われています。
マルヨネ
田中社(たなかやしろ)さん
マルヨネ
田中社(たなかやしろ)さん
イッチンの技法というのは、明治の終わりに入ってきて、根上地区や小松で盛んにつくられるようになりました。以前はだるまさんとか七福神のそれぞれや、魔除けの玉獅子がよく出ていたそうです。その流れでずっと来て、今は猫やふくろうが主流で、こういう人形ものも増えています。
イッチンの技法というのは、明治の終わりに入ってきて、根上地区や小松で盛んにつくられるようになりました。以前はだるまさんとか七福神のそれぞれや、魔除けの玉獅子がよく出ていたそうです。その流れでずっと来て、今は猫やふくろうが主流で、こういう人形ものも増えています。
絵の具自体は通常の絵付のとは違います。盛り上げる用の絵の具があります。絞り出す原液に空気が入っていると、描いている途中で切れてしまう。熟練者には、新体操でリボンを使う競技のように、空中で絵を描き絵の具を定着させる人もいらっしゃいます。
絵の具自体は通常の絵付のとは違います。盛り上げる用の絵の具があります。絞り出す原液に空気が入っていると、描いている途中で切れてしまう。熟練者には、新体操でリボンを使う競技のように、空中で絵を描き絵の具を定着させる人もいらっしゃいます。
先ほどのものは絵の具のイッチン技法。これはこの素地と同じ泥漿で描いたイッチン技法です。この上から釉薬をかけますから取れることはありません。イッチンを使った表現方法も色々あります。
先ほどのものは絵の具のイッチン技法。これはこの素地と同じ泥漿で描いたイッチン技法です。この上から釉薬をかけますから取れることはありません。イッチンを使った表現方法も色々あります。
九谷焼の縁起物(招き猫・梟・歳時記・宝船・七福神)の専門販売店
マルヨネ「和陶房」
代表 米田和夫さん

初代米田次作氏は1893年(明治26)年、旧根上町に生まれ、米田五三郎商店で番頭をとして活躍した後、1916年(大正5)に現地で開業、素地を八幡から購入し、大石太吉氏や糠川清作氏の工房で着画、寺井・小松の問屋に置き物香炉を中心に販売していました。二代目幸一氏は父の後を継ぎ製造に励むとともに組合等と緊密な連絡をとり販路の拡大に務めました。三代目の和夫氏は新しい陶土や絵の具などの研究に余念がなく、新たな九谷焼製品の開発を行い、東京や中部、関西など販路を拡大し活躍中。新人の育成にも力を入れています。
九谷焼の縁起物(招き猫・梟・歳時記・宝船・七福神)の専門販売店
マルヨネ「和陶房」
代表 米田和夫さん

初代米田次作氏は1893年(明治26)年、旧根上町に生まれ、米田五三郎商店で番頭をとして活躍した後、1916年(大正5)に現地で開業、素地を八幡から購入し、大石太吉氏や糠川清作氏の工房で着画、寺井・小松の問屋に置き物香炉を中心に販売していました。二代目幸一氏は父の後を継ぎ製造に励むとともに組合等と緊密な連絡をとり販路の拡大に務めました。三代目の和夫氏は新しい陶土や絵の具などの研究に余念がなく、新たな九谷焼製品の開発を行い、東京や中部、関西など販路を拡大し活躍中。新人の育成にも力を入れています。