ハンコによる加飾技術について
ハンコによる加飾技術について
大正から昭和にかけて、産業九谷が隆盛した背景には佐野地区を中心としたハンコによる生産方式がありました。当時、全てを手描きで行うより同一の絵柄の製品をより効率を上げて生産できるこの方式は、名の知れた九谷焼手描き職人がハンコを彫るなど、生産工程に一役買い、価格も抑えられたことから、日本各地に九谷焼が広まる一端を担いました。しかし同時に、大量の注文を昼夜問わず捌き続けるだけの姿勢は、低品質の九谷焼を日本各地に広めることになってしまいます。生活習慣の変化や時流も重なり、九谷焼の価値は低下、市の産業にも大きく影響を及ぼすこととなりましたが、産業九谷の一時代を支えた加飾技術であることには間違いありません。
今では、押すためのハンコを彫る職人もご高齢化に伴い数名の方しかいません。同じようにハンコを押す職人の方も数名残すのみとなり、次世代に継承される可能性の低い技術となっています。
大正から昭和にかけて、産業九谷が隆盛した背景には佐野地区を中心としたハンコによる生産方式がありました。当時、全てを手描きで行うより同一の絵柄の製品をより効率を上げて生産できるこの方式は、名の知れた九谷焼手描き職人がハンコを彫るなど、生産工程に一役買い、価格も抑えられたことから、日本各地に九谷焼が広まる一端を担いました。しかし同時に、大量の注文を昼夜問わず捌き続けるだけの姿勢は、低品質の九谷焼を日本各地に広めることになってしまいます。生活習慣の変化や時流も重なり、九谷焼の価値は低下、市の産業にも大きく影響を及ぼすこととなりましたが、産業九谷の一時代を支えた加飾技術であることには間違いありません。
今では、押すためのハンコを彫る職人もご高齢化に伴い数名の方しかいません。同じようにハンコを押す職人の方も数名残すのみとなり、次世代に継承される可能性の低い技術となっています。
江川美代子(えがわみよこ)さん
江川美代子(えがわみよこ)さん
私はこの仕事を始めて50年以上経ちました。今76歳になりましたが、よく考えてみれば入社してからずっと同じ机で作業しています。最初は繊維関係の会社で働いていたのですが、このハンコ職人が足りないということから、家からも近かったので転職しました。そういうことなので何もみたこともない作業をいきなり始めたのです。  それからは毎日が勉強の日々でした。製品の形状や絵柄が毎回変わる事によってハンコを押す位置や数が全部変わります。それを一つずつ覚えていかないとできない作業です。
私はこの仕事を始めて50年以上経ちました。今76歳になりましたが、よく考えてみれば入社してからずっと同じ机で作業しています。最初は繊維関係の会社で働いていたのですが、このハンコ職人が足りないということから、家からも近かったので転職しました。そういうことなので何もみたこともない作業をいきなり始めたのです。  それからは毎日が勉強の日々でした。製品の形状や絵柄が毎回変わる事によってハンコを押す位置や数が全部変わります。それを一つずつ覚えていかないとできない作業です。
下のハンコを下駄、上を肩という言い方をしています。最初にハンコが呉須を吸収しやすいように布に染み込ませます。そうすることでハンコには均一に呉須がつくようになります。紙の上なら滑りませんが、ツルツルした曲面を滑らないように同じ力で均一に押さなければいけなく、さらに大きいハンコは、大きな曲面を隅から隅まで滑らずに押すためには、指一本一本の力具合を調整しながら押していく作業となるので技術的にも熟練を要します。両手で押さないといけないような巨大なハンコもあります。押しにくいものは大きく曲がる曲面や細長い曲面ですね。上はスポンジですが押す部分はゴムなので硬いのです。さらに数年使うとゴム自体もさらに硬くなってきます。
下のハンコを下駄、上を肩という言い方をしています。最初にハンコが呉須を吸収しやすいように布に染み込ませます。そうすることでハンコには均一に呉須がつくようになります。紙の上なら滑りませんが、ツルツルした曲面を滑らないように同じ力で均一に押さなければいけなく、さらに大きいハンコは、大きな曲面を隅から隅まで滑らずに押すためには、指一本一本の力具合を調整しながら押していく作業となるので技術的にも熟練を要します。両手で押さないといけないような巨大なハンコもあります。押しにくいものは大きく曲がる曲面や細長い曲面ですね。上はスポンジですが押す部分はゴムなので硬いのです。さらに数年使うとゴム自体もさらに硬くなってきます。
どうしてもハンコが入らない所は筆で加筆していきます。ここで一度窯に入れた後、絵付けをしていきます。そういう意味では全て手作業です。 昔は茶器のセット物など100組とか作りましたが、今も30組くらいあります。今は転写の技術が発達していますが、色数の制約や数量の調整など転写の技術では難しい場面での需要はまだあるんですよ。
どうしてもハンコが入らない所は筆で加筆していきます。ここで一度窯に入れた後、絵付けをしていきます。そういう意味では全て手作業です。 昔は茶器のセット物など100組とか作りましたが、今も30組くらいあります。今は転写の技術が発達していますが、色数の制約や数量の調整など転写の技術では難しい場面での需要はまだあるんですよ。
もう私の後は継ぐ人はいないんですね。以前はもう一人いたんですけど、ご家庭の事情から自宅で作業をされています。その人は塗り描きのベテランです。そのため今は轆轤と仕上げをする方と2人でやっています。ハンコを彫る方ももう一人か二人しかいらっしゃりません。問屋さん用に絵付けをされているご夫婦もだんだん少なくなってきています。この技術を繋いでくれる人が現れたらいいんですけどね。
もう私の後は継ぐ人はいないんですね。以前はもう一人いたんですけど、ご家庭の事情から自宅で作業をされています。その人は塗り描きのベテランです。そのため今は轆轤と仕上げをする方と2人でやっています。ハンコを彫る方ももう一人か二人しかいらっしゃりません。問屋さん用に絵付けをされているご夫婦もだんだん少なくなってきています。この技術を繋いでくれる人が現れたらいいんですけどね。