手におさまる大きさに無限に広がる
ワンダーランド。
手におさまる大きさに無限に広がる
ワンダーランド。
「ただ美しいだけじゃなく、何か呼びかけるようなものもあるような、生活の中に存在するものっていうのをつくたいと思っていたんです。」東京都出身の牟田さんは、ファインアート(現代美術)の分野で特に名高いロンドン大学ゴールドスミスカレッジファインアート科を卒業され、在学中はビデオアートやインスタレーションで作品を発表されていました。帰国後、石川県立九谷焼技術研修所に入所、今も能美市でアーティストとして創作活動をされています。
「ただ美しいだけじゃなく、何か呼びかけるようなものもあるような、生活の中に存在するものっていうのをつくたいと思っていたんです。」東京都出身の牟田さんは、ファインアート(現代美術)の分野で特に名高いロンドン大学ゴールドスミスカレッジファインアート科を卒業され、在学中はビデオアートやインスタレーションで作品を発表されていました。帰国後、石川県立九谷焼技術研修所に入所、今も能美市でアーティストとして創作活動をされています。
ロンドンへ。
ロンドンへ。
 アートを勉強したくて、日本で大学に入ったのですが、そもそも「現代美術科」なんて学科はないわけで、今ある学科の中で素材などを一番自由になる絵画科(油画)を専攻し、授業を受けていたのですが、私は性格的に何事も実感しないとわからないタイプで、アートも日本で現代美術を勉強していても間接的でわかりにくい。自分がやっていることって一体何なんだろうというような、わからない気持ち悪さみたいなもの抱えていました。
 アートを勉強したくて、日本で大学に入ったのですが、そもそも「現代美術科」なんて学科はないわけで、今ある学科の中で素材などを一番自由になる絵画科(油画)を専攻し、授業を受けていたのですが、私は性格的に何事も実感しないとわからないタイプで、アートも日本で現代美術を勉強していても間接的でわかりにくい。自分がやっていることって一体何なんだろうというような、わからない気持ち悪さみたいなもの抱えていました。
 学後も最初は技法を学ぶ授業なので、「ちょっと違うな」って思い始め、1年半くらいで退学し、留学準備を経て“わからない気持ち悪さ”の正体を見つけにゴールドスミスカレッジというファインアートの強い大学に行きました。イギリスでは美術教育にすごく力を入れているので、まず幼児の時点で大きな美術館に自由に入れ、そこでお絵かきができる。名画がいっぱい飾ってある中で、園児たちがお絵かきしたりとか、そういう環境を与えることで、アートに関係ない人でも一定の理解度がある。「こういうものにお金は払われるべき」っていうのをちゃんとわかっているんですよね。結局その先、数学の道に進もうが、工学の道に進もうが、考え方にアートって宿るものなので、役に立つと思うんですね。そういう事も含めてロンドンで学び、もちろん全てではないのですが「なるほど、こういうものの成り立ちなんだな」と輪郭をつかめたと思います。ビッグアーティストになろうと思って海外に行ったわけでは決してないんです。
 学後も最初は技法を学ぶ授業なので、「ちょっと違うな」って思い始め、1年半くらいで退学し、留学準備を経て“わからない気持ち悪さ”の正体を見つけにゴールドスミスカレッジというファインアートの強い大学に行きました。イギリスでは美術教育にすごく力を入れているので、まず幼児の時点で大きな美術館に自由に入れ、そこでお絵かきができる。名画がいっぱい飾ってある中で、園児たちがお絵かきしたりとか、そういう環境を与えることで、アートに関係ない人でも一定の理解度がある。「こういうものにお金は払われるべき」っていうのをちゃんとわかっているんですよね。結局その先、数学の道に進もうが、工学の道に進もうが、考え方にアートって宿るものなので、役に立つと思うんですね。そういう事も含めてロンドンで学び、もちろん全てではないのですが「なるほど、こういうものの成り立ちなんだな」と輪郭をつかめたと思います。ビッグアーティストになろうと思って海外に行ったわけでは決してないんです。
九谷焼に出会えたおかげで今の自分がいる。
九谷焼に出会えたおかげで今の自分がいる。
 ロンドンで生活をしていた時ですが、ロンドンで日本のものっていうと、やっぱりISSEY MIYAKEとかMUJIからの印象が強く、シュッとしていてミニマルで、Black and Whiteで、みたいなイメージがあります。私もそういうものが嫌いなわけではないのですが、何か「(日本って)これだけじゃないのにな・・・」って思う気持ちもあったんですね。
 ロンドンで生活をしていた時ですが、ロンドンで日本のものっていうと、やっぱりISSEY MIYAKEとかMUJIからの印象が強く、シュッとしていてミニマルで、Black and Whiteで、みたいなイメージがあります。私もそういうものが嫌いなわけではないのですが、何か「(日本って)これだけじゃないのにな・・・」って思う気持ちもあったんですね。
ある時、知人からお土産をもらって、それが何の変哲もない転写のお土産用の急須だったんですけどで、いわゆる九谷焼の青手で牡丹が描いてあって、黄色い地で全面塗りのドロドロっとしたタイプのものだったんです。今思えば、転写も、もうどうってことないやつです。 九谷焼は、もちろん名前としては知っていたのですが、イメージとしてぱっと出てくる感じの焼き物じゃないんです。当時は備前焼とか京焼とか有田焼といえばイメージができて、売り場も東京の百貨店では有田焼などはいっぱいあっても、九谷は細く一列くらいという時代でした。
ある時、知人からお土産をもらって、それが何の変哲もない転写のお土産用の急須だったんですけどで、いわゆる九谷焼の青手で牡丹が描いてあって、黄色い地で全面塗りのドロドロっとしたタイプのものだったんです。今思えば、転写も、もうどうってことないやつです。 九谷焼は、もちろん名前としては知っていたのですが、イメージとしてぱっと出てくる感じの焼き物じゃないんです。当時は備前焼とか京焼とか有田焼といえばイメージができて、売り場も東京の百貨店では有田焼などはいっぱいあっても、九谷は細く一列くらいという時代でした。
当時の自分も、表現するための素材として、ビデオワークとかインスタレーションが多かったのですが、ずっと残せて、更に皮膚に近く、さわれるような、そういうちょっとインテリアとアートが一緒になって、それでいて、ただ美しいだけじゃなく、何か呼びかけるようなものもあるような、生活の中に存在するものっていうのをやりたいと思っていたんです。そういうものは、素材が強くないと駄目ですよね。樹脂など私が使っていたのはもろかったし、経年劣化もする。そうやって考えていくと、昔ながらの普遍的な素材に辿り着きます。ガラスとか木とかセラミック。ガラスは思い通りの形状を作っていくのが難しい、木はいいけれども保存が難しいと思っていました。たまたまギリシャへ旅行にいった時、博物館で見た2000年前の焼き物などは、綺麗な状態に残っていたのですが、同時に展示されていた1000年ぐらい前の木製の椅子はボロボロだったんです。それを見て自分の考えには焼き物が合っていると思っていたんです。そんな時に九谷焼の器を見て、これは絵もあるし、何かぐちゃぐちゃしていて(笑)面白いなと感じたのが最初です。
当時の自分も、表現するための素材として、ビデオワークとかインスタレーションが多かったのですが、ずっと残せて、更に皮膚に近く、さわれるような、そういうちょっとインテリアとアートが一緒になって、それでいて、ただ美しいだけじゃなく、何か呼びかけるようなものもあるような、生活の中に存在するものっていうのをやりたいと思っていたんです。そういうものは、素材が強くないと駄目ですよね。樹脂など私が使っていたのはもろかったし、経年劣化もする。そうやって考えていくと、昔ながらの普遍的な素材に辿り着きます。ガラスとか木とかセラミック。ガラスは思い通りの形状を作っていくのが難しい、木はいいけれども保存が難しいと思っていました。たまたまギリシャへ旅行にいった時、博物館で見た2000年前の焼き物などは、綺麗な状態に残っていたのですが、同時に展示されていた1000年ぐらい前の木製の椅子はボロボロだったんです。それを見て自分の考えには焼き物が合っていると思っていたんです。そんな時に九谷焼の器を見て、これは絵もあるし、何かぐちゃぐちゃしていて(笑)面白いなと感じたのが最初です。
元々石川県にご縁があったこともあり、ゴールドスミスカレッジを卒業して、石川県立九谷焼研修所に入りました。陶芸の学校や研修所は全国にいろいろあるのですが、その中でも九谷焼研修所はカリキュラム自体が幅広く、デッサンや平面構成、立体構成があるなど、設立当時の教育方針のベースがかなりアーティスト寄りな要素もあり、作家として自己表現が許され、絵付けも自由にできるところに魅力を感じました。
元々石川県にご縁があったこともあり、ゴールドスミスカレッジを卒業して、石川県立九谷焼研修所に入りました。陶芸の学校や研修所は全国にいろいろあるのですが、その中でも九谷焼研修所はカリキュラム自体が幅広く、デッサンや平面構成、立体構成があるなど、設立当時の教育方針のベースがかなりアーティスト寄りな要素もあり、作家として自己表現が許され、絵付けも自由にできるところに魅力を感じました。
予備校の時に絵画科を選択し油画をやっていて、鉛筆デッサンと木炭デッサンと油画をやっていたんですけど、もう、とにかくデッサンや油画の自分の画が嫌いで、講評などでは点数は高かったのですが、絵としていいかとはまた別じゃないですか。画として心に響くか、画として美しいかっていうのとまた違うものだから。私と一緒に勉強していた友だちは、逆に細かいところを描いたりするのが苦手で点数は低いけど、画を見た時に色がすごく映えて美しくて、これが才能だって思うものを間近で見たことも重なり、自分の絵は好きではなかったんです。大学に入る時には全部消しました。自分で描いているからこそ自分の絵が嫌だとすごい「はぁ~」ってなるじゃないですか。たぶん、油画が特に向いてなかったんです。それから10年ぐらい描くことをやっていなかったのです。勿論、ドローイングとかビデオワークとかインスタレーションのために作る小さなデッサンのピースとかは描いていましたけど、本格的な再始動は九谷焼をやろうってなってからで、いわゆる日本画的な筆、陶画で使う筆だったりとかで、基本的な描き方はちょっと日本画に近いですね。線を骨描きで描いていてそこに絵の具をのせていくということをやった時、西洋のペン画やエッチングの削りが出したような細い線を一定の細さで重ねていくような筆使いをすルコともできたし、なんかこうはまったんです。ピタって。元々好きな若冲や北斎も、要は骨描きで描いていく。日本の肉筆画や浮世絵もそうですけど、っていうのを見ていてで、これは面白いと。
予備校の時に絵画科を選択し油画をやっていて、鉛筆デッサンと木炭デッサンと油画をやっていたんですけど、もう、とにかくデッサンや油画の自分の画が嫌いで、講評などでは点数は高かったのですが、絵としていいかとはまた別じゃないですか。画として心に響くか、画として美しいかっていうのとまた違うものだから。私と一緒に勉強していた友だちは、逆に細かいところを描いたりするのが苦手で点数は低いけど、画を見た時に色がすごく映えて美しくて、これが才能だって思うものを間近で見たことも重なり、自分の絵は好きではなかったんです。大学に入る時には全部消しました。自分で描いているからこそ自分の絵が嫌だとすごい「はぁ~」ってなるじゃないですか。たぶん、油画が特に向いてなかったんです。それから10年ぐらい描くことをやっていなかったのです。勿論、ドローイングとかビデオワークとかインスタレーションのために作る小さなデッサンのピースとかは描いていましたけど、本格的な再始動は九谷焼をやろうってなってからで、いわゆる日本画的な筆、陶画で使う筆だったりとかで、基本的な描き方はちょっと日本画に近いですね。線を骨描きで描いていてそこに絵の具をのせていくということをやった時、西洋のペン画やエッチングの削りが出したような細い線を一定の細さで重ねていくような筆使いをすルコともできたし、なんかこうはまったんです。ピタって。元々好きな若冲や北斎も、要は骨描きで描いていく。日本の肉筆画や浮世絵もそうですけど、っていうのを見ていてで、これは面白いと。
それに加え、みんなの頭の中にある鳳凰や龍、さらには麒麟って、どういうところからきているかというと、博物館にあるような、歴史上で残ってきた絵画や彫刻などの集合体でできているんですよね。だからその集合体を引用しながら、自分の描き方で、現代的に描いていくっていうことが面白いんじゃないかなと思っています。そこからまた現代の状況に即した新しい考え方や発想をプラスして、それが今の状況にどう響いていくかっていうところだと思うんです。だから明確にクジラなんかも若冲だったり、日本の昔の古典の絵と古典絵画だとか、中国の絵画とか、そういったものからでも明確に一つのものではなく、いくつか参考にしながら、自分のイメージを構築するようにしています。
それに加え、みんなの頭の中にある鳳凰や龍、さらには麒麟って、どういうところからきているかというと、博物館にあるような、歴史上で残ってきた絵画や彫刻などの集合体でできているんですよね。だからその集合体を引用しながら、自分の描き方で、現代的に描いていくっていうことが面白いんじゃないかなと思っています。そこからまた現代の状況に即した新しい考え方や発想をプラスして、それが今の状況にどう響いていくかっていうところだと思うんです。だから明確にクジラなんかも若冲だったり、日本の昔の古典の絵と古典絵画だとか、中国の絵画とか、そういったものからでも明確に一つのものではなく、いくつか参考にしながら、自分のイメージを構築するようにしています。
 焼き物って面白くて、これまでも弟子とか、古くは徒弟制度の中でどんどんコピーしていくわけじゃないですか。師匠のものをコピーしてコピーしてコピーしてみたいな。しかし、そのコピーをする弟子の中でもそのあたりの定義が曖昧で、しっかりコピーした後、別のものに仕上げている人もいれば、全然できてないけど同じだという人もいたわけです。それでも“なあなあであり”のまま来ています。もちろん焼き物自体が中国で鯉が滝を登って龍になるっていう素朴なストーリーは一般的な漢詩、古事から来ています。もう成り上がる、出世するってみたいな絵柄なんですけど、これも再興九谷あたりから描かれている古典的な絵柄で、鳳凰などもたくさん描かれてますけど、そういうのも結局絵柄の元を辿ってくれば、中国からで、それが有田に伝わり京に伝わり九谷に伝わる。今日に至るまで描かれているという事実を踏まえると、もうオリジナリティーを保つことは作家として絶対重要なことですが、そことまた違った平行線というか、ベクトルで昔のものをこう写してくっていう、アイデアもあるんですね。すごくコンテンポラリーアートとはまた違って、独特の世界が面白いと思います。
 焼き物って面白くて、これまでも弟子とか、古くは徒弟制度の中でどんどんコピーしていくわけじゃないですか。師匠のものをコピーしてコピーしてコピーしてみたいな。しかし、そのコピーをする弟子の中でもそのあたりの定義が曖昧で、しっかりコピーした後、別のものに仕上げている人もいれば、全然できてないけど同じだという人もいたわけです。それでも“なあなあであり”のまま来ています。もちろん焼き物自体が中国で鯉が滝を登って龍になるっていう素朴なストーリーは一般的な漢詩、古事から来ています。もう成り上がる、出世するってみたいな絵柄なんですけど、これも再興九谷あたりから描かれている古典的な絵柄で、鳳凰などもたくさん描かれてますけど、そういうのも結局絵柄の元を辿ってくれば、中国からで、それが有田に伝わり京に伝わり九谷に伝わる。今日に至るまで描かれているという事実を踏まえると、もうオリジナリティーを保つことは作家として絶対重要なことですが、そことまた違った平行線というか、ベクトルで昔のものをこう写してくっていう、アイデアもあるんですね。すごくコンテンポラリーアートとはまた違って、独特の世界が面白いと思います。
踊る九谷
踊る九谷
踊る九谷というグループを作り、2~3年に一度グループ展を開催しています。(伊藤由紀子さん、大石さくらさん、川上真子さん、河端理恵子さん、北井真衣さん、吉村茉莉さん、牟田陽日さんの7人)それぞれが表現力豊かで作風が被らないけれど、テーマは九谷表現をしていることと躍動感。文様ももちろんですが、絵を感じさせるものを作ることをテーマとした活動です。九谷焼作家の道を歩み、作品に人気あっても、年齢を重ねていく上で結婚したり、子どもができたり、病気になったりなどそれぞれ色々な出来事があるわけで、コンスタントに活動を続けてくのは結構大変なことなんです。そこで辞めそうになるじゃないですか。なので、これだけでも出品していくなど、オポチュニティを設けておくことで、ちょっとでも続けていくと、いずれ何か繋がってくる。福島武山先生はいつもそういう配慮をされていると思うんです。一門展を開くことで、結婚してからちょっと創作から遠ざかってしまっている方にもお声がけして、ある意味、無理矢理にでも出させるじゃないですか。それで繋がっていけるし、最初にオポチュニティがない新人の子にもチャンスを与える。武山先生の一門展では必ず買ってくれるお客さんも来ます。技術を伝承することだけではなく、そこで作家としての階段を昇るチャンスを一歩一歩作ってあげる活動までされているのは、本当にすごいと思います。 「踊る九谷」は、リーダーとかを決めずに、たまに集まって次回のグループ展に向けて「この作品出せる、出せない」みたいな話をわいわいやっています。
踊る九谷というグループを作り、2~3年に一度グループ展を開催しています。(伊藤由紀子さん、大石さくらさん、川上真子さん、河端理恵子さん、北井真衣さん、吉村茉莉さん、牟田陽日さんの7人)それぞれが表現力豊かで作風が被らないけれど、テーマは九谷表現をしていることと躍動感。文様ももちろんですが、絵を感じさせるものを作ることをテーマとした活動です。九谷焼作家の道を歩み、作品に人気あっても、年齢を重ねていく上で結婚したり、子どもができたり、病気になったりなどそれぞれ色々な出来事があるわけで、コンスタントに活動を続けてくのは結構大変なことなんです。そこで辞めそうになるじゃないですか。なので、これだけでも出品していくなど、オポチュニティを設けておくことで、ちょっとでも続けていくと、いずれ何か繋がってくる。福島武山先生はいつもそういう配慮をされていると思うんです。一門展を開くことで、結婚してからちょっと創作から遠ざかってしまっている方にもお声がけして、ある意味、無理矢理にでも出させるじゃないですか。それで繋がっていけるし、最初にオポチュニティがない新人の子にもチャンスを与える。武山先生の一門展では必ず買ってくれるお客さんも来ます。技術を伝承することだけではなく、そこで作家としての階段を昇るチャンスを一歩一歩作ってあげる活動までされているのは、本当にすごいと思います。 「踊る九谷」は、リーダーとかを決めずに、たまに集まって次回のグループ展に向けて「この作品出せる、出せない」みたいな話をわいわいやっています。
踊る九谷 Facebook
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ウェルネスハウスSARAIのアート。
カフェのエントランスと一人部屋の内装。
ウェルネスハウスSARAIのアート。
カフェのエントランスと一人部屋の内装。
ウェルネスハウスSARAI
ウェルネスハウスSARAI
ワンダーランド
ワンダーランド
江戸時代の中期にあたる18世紀、将軍吉宗の洋書解禁や、明・清の新しい絵画様式の移入などに触発され、創造の機運が一気に盛り上がった頃に、あの伊藤若冲が誕生します。写生を中心に細部まで克明に描写しながらも全体としては現実と異なる不思議な世界(ワンダーランド)を表現する創造性は、いまもなお、人々の美意識や感性を刺激します。 牟田さんの創作も、素地から作りあげ、細部まで克明に描写しながら、全体としては現実と異なる不思議な世界を描き出す作品。海外からも高く評価されています。 「いつか自分の作品が世紀を超えて先人の作品と一緒に展示される」という牟田さんの願いが叶い、そして、さらに百年先に牟田さんの作品が百年後に生まれる作家の作品と並んで展示さてる未来-想像するとワクワクしますね。
江戸時代の中期にあたる18世紀、将軍吉宗の洋書解禁や、明・清の新しい絵画様式の移入などに触発され、創造の機運が一気に盛り上がった頃に、あの伊藤若冲が誕生します。写生を中心に細部まで克明に描写しながらも全体としては現実と異なる不思議な世界(ワンダーランド)を表現する創造性は、いまもなお、人々の美意識や感性を刺激します。 牟田さんの創作も、素地から作りあげ、細部まで克明に描写しながら、全体としては現実と異なる不思議な世界を描き出す作品。海外からも高く評価されています。 「いつか自分の作品が世紀を超えて先人の作品と一緒に展示される」という牟田さんの願いが叶い、そして、さらに百年先に牟田さんの作品が百年後に生まれる作家の作品と並んで展示さてる未来-想像するとワクワクしますね。
プロフィール
1981年東京都生まれ。
2008年ロンドン大学ゴールドスミスカレッジファインアート科卒業。
12年石川県立九谷焼技術研修所卒業。現在、石川県能美市にて工房兼住居を構える。陶磁器に彩色を施す色絵の技法を主軸に、日常的な食器、茶器などの美術工芸品からアートワークまで多岐に渡り制作。現代の自然に対する意識の在りようをテーマに、動植物、神獣、古典図案等を再構成し色絵磁器に起こしている。日本の美感、工芸、アートの間を相互に交信するような作品制作を目標とする。
主な展覧会に、「A Tale of Two Suns」(Iniva、ロンドン、2008)、「We who saw signs」(ICA gallery、シンガポール、2011)、「The Sake Vessel - Contemporary Interpretations International Sakeware Exhibition」(The Stratford Gallery、イギリス、2019)、「踊る九谷」(Vima House 維摩舍、台湾、2019)、Kutanism「天外の饗宴」、(那谷寺、石川、2019)など。国内・海外問わず個展を開催している。伊丹国際クラフト展「酒器・酒盃台」優秀賞(2012)、第11回パラミタ陶芸大賞展大賞(2016)などを受賞。
プロフィール
1981年東京都生まれ。
2008年ロンドン大学ゴールドスミスカレッジファインアート科卒業。
12年石川県立九谷焼技術研修所卒業。現在、石川県能美市にて工房兼住居を構える。陶磁器に彩色を施す色絵の技法を主軸に、日常的な食器、茶器などの美術工芸品からアートワークまで多岐に渡り制作。現代の自然に対する意識の在りようをテーマに、動植物、神獣、古典図案等を再構成し色絵磁器に起こしている。日本の美感、工芸、アートの間を相互に交信するような作品制作を目標とする。
主な展覧会に、「A Tale of Two Suns」(Iniva、ロンドン、2008)、「We who saw signs」(ICA gallery、シンガポール、2011)、「The Sake Vessel - Contemporary Interpretations International Sakeware Exhibition」(The Stratford Gallery、イギリス、2019)、「踊る九谷」(Vima House 維摩舍、台湾、2019)、Kutanism「天外の饗宴」、(那谷寺、石川、2019)など。国内・海外問わず個展を開催している。伊丹国際クラフト展「酒器・酒盃台」優秀賞(2012)、第11回パラミタ陶芸大賞展大賞(2016)などを受賞。
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