私が作ったものから、
私を思い出してもらえるような仕事を続けたい。
私が作ったものから、
私を思い出してもらえるような仕事を続けたい。
きっかけ
きっかけ
 私が地元の兵庫県で就職活動をしていたのは、1995年の阪神淡路大震災の後で、なかなか求人のない頃でした。その中で職を得たのは広告チラシを主体とした印刷物を扱っている印刷会社。当時は不景気のあおりを受け、それまで毎日のように出ていたチラシが激減、さらにデジタル化移行への過渡期でもありました。それぞれの部署での手作業の減少とともにそれらに携わる職人も削減されていく、そんな状況でした。
 ある徹夜して作ったチラシが配られた翌朝のこと、母がお弁当を作るために、揚げ物の油吸い取り紙としてそのチラシを使っていたんです。まぁ、役目を終えているのだから問題はないのですが、そういう扱いをされているのを見て「あんなに頑張って作ったのになぁ」と何か虚しくなってしまいました。同じく物を作るなら、作ったものをもう少し大事に使ってもらえるような職種に変わりたいと思ったのです。
 私が地元の兵庫県で就職活動をしていたのは、1995年の阪神淡路大震災の後で、なかなか求人のない頃でした。その中で職を得たのは広告チラシを主体とした印刷物を扱っている印刷会社。当時は不景気のあおりを受け、それまで毎日のように出ていたチラシが激減、さらにデジタル化移行への過渡期でもありました。それぞれの部署での手作業の減少とともにそれらに携わる職人も削減されていく、そんな状況でした。
 ある徹夜して作ったチラシが配られた翌朝のこと、母がお弁当を作るために、揚げ物の油吸い取り紙としてそのチラシを使っていたんです。まぁ、役目を終えているのだから問題はないのですが、そういう扱いをされているのを見て「あんなに頑張って作ったのになぁ」と何か虚しくなってしまいました。同じく物を作るなら、作ったものをもう少し大事に使ってもらえるような職種に変わりたいと思ったのです。
作品「蛸」
作品「蛸」
 勤めていた会社を辞め、「椅子を作る人になろう」と思い立ち、飛騨高山の学校のオープンキャンパスに参加することにしました。そこには木工科と陶芸科がありました。ほぼほぼ春から木工科に入学するつもりだった私は、同じくやったことのない陶芸科のロクロ体験に参加したのです。経験として。ところが、初めて挑戦したロクロが思うように出来ず、悔しさのあまり、春、私が進んだのは陶芸科でした。ロクロ技術習得を目的に始めた陶芸でしたが、2年の間に粘土の面白さにのめり込んでいきました。
 学校を巣立つにあたり、先生に「陶芸でご飯を食べていきたいです。就職か若しくは独立しようかと思ってます。」と相談したら「そんなに甘くない」と言われました。就職するにしても、独立するにしても実力不足であると。就職も修業も産地でなければ難しい。産地に受け入れてもらうには産地の学校を出た方がいいとのことでした。
 勤めていた会社を辞め、「椅子を作る人になろう」と思い立ち、飛騨高山の学校のオープンキャンパスに参加することにしました。そこには木工科と陶芸科がありました。ほぼほぼ春から木工科に入学するつもりだった私は、同じくやったことのない陶芸科のロクロ体験に参加したのです。経験として。ところが、初めて挑戦したロクロが思うように出来ず、悔しさのあまり、春、私が進んだのは陶芸科でした。ロクロ技術習得を目的に始めた陶芸でしたが、2年の間に粘土の面白さにのめり込んでいきました。
 学校を巣立つにあたり、先生に「陶芸でご飯を食べていきたいです。就職か若しくは独立しようかと思ってます。」と相談したら「そんなに甘くない」と言われました。就職するにしても、独立するにしても実力不足であると。就職も修業も産地でなければ難しい。産地に受け入れてもらうには産地の学校を出た方がいいとのことでした。
作品「蛸」部分
作品「蛸」部分
研修所へ
研修所へ
 2年間専門学校に通ったのにそれでは足りず、産地の専門学校に入り直せって言われたという話です。飛騨の学校で知り合った神戸薩摩焼の作家さんのアドバイスで「上絵の技術習得」を念頭に置き、色々調べていたところ、学友の福井県出身のよっちゃんが石川県にある九谷焼技術研修所のことを教えてくれました。九研を受験して入学出来たのは運が良かったです。  
 研修所では九谷焼の現役の作家、職人の先生方に教えていただけました。そして「あれ?何か思っていたのと違うな…。これにご飯を盛る…??」と、初めて日常使いの器ではないやきものがあることを知ったんです。石川に来て陶芸の多様な顔を知りました。  
 卒業後は、日中、中村陶志人先生のところで働かせてもらいながら、夜と休日は自分の作品を作り、時折研修所で伊藤慶二先生の勉強会に参加するという生活を送っていました。その中で松屋銀座さんの「金沢からお正月」という毎年開催されている企画に参加させてもらっていました。  
伊藤先生とバイヤーさんと他の参加者との勉強会があり、そこで提案した作品をブラッシュアップして出品するのです。「お正月を祝う」というコンセプトなのに、当時の私はそんなことはおかまいなしに、その時自分が作りたかった白と黒と銀の荒々しいテクスチャーの器を提出しました。バイヤーさんには「お正月。皆が心浮き立つお正月。そこにこんな廃墟みたいな器を出すなんて。あなたの神経がわからない。」と言われました。伊藤先生が「まぁ、いいんじゃないか。出してみれば。」とおっしゃってくださったので出品はさせてもらえました。
 2年間専門学校に通ったのにそれでは足りず、産地の専門学校に入り直せって言われたという話です。飛騨の学校で知り合った神戸薩摩焼の作家さんのアドバイスで「上絵の技術習得」を念頭に置き、色々調べていたところ、学友の福井県出身のよっちゃんが石川県にある九谷焼技術研修所のことを教えてくれました。九研を受験して入学出来たのは運が良かったです。  
 研修所では九谷焼の現役の作家、職人の先生方に教えていただけました。そして「あれ?何か思っていたのと違うな…。これにご飯を盛る…??」と、初めて日常使いの器ではないやきものがあることを知ったんです。石川に来て陶芸の多様な顔を知りました。  
 卒業後は、日中、中村陶志人先生のところで働かせてもらいながら、夜と休日は自分の作品を作り、時折研修所で伊藤慶二先生の勉強会に参加するという生活を送っていました。その中で松屋銀座さんの「金沢からお正月」という毎年開催されている企画に参加させてもらっていました。  
伊藤先生とバイヤーさんと他の参加者との勉強会があり、そこで提案した作品をブラッシュアップして出品するのです。「お正月を祝う」というコンセプトなのに、当時の私はそんなことはおかまいなしに、その時自分が作りたかった白と黒と銀の荒々しいテクスチャーの器を提出しました。バイヤーさんには「お正月。皆が心浮き立つお正月。そこにこんな廃墟みたいな器を出すなんて。あなたの神経がわからない。」と言われました。伊藤先生が「まぁ、いいんじゃないか。出してみれば。」とおっしゃってくださったので出品はさせてもらえました。
作品「急追」前面
作品「急追」前面
作品「急追」背面
作品「急追」背面
作品「急追」背面(部分)
作品「急追」背面(部分)
 企画展の数週間前「アテンドに来てみてはどう?」と言われました。「旅費は出すから。」と。  
会場でお客様からの「お正月の玄関を飾りたいのよね。」といったご相談に「この作品を買われるんだったら、こういうのもありますよ。別の作家さんのものですが、一緒に置かれたらお正月感が出ていいですよ。」という風に応えていました。その様子を見ていたスタッフさんが「一生懸命アテンドをしている姿を見たから言わせてもらうね。」と。実は、私が毎回的外れなものを出してくるので「もう、あの子はいらない。」「あの子は断った方がいい。」といった声が現場から出て、「あの子、ちょっと一度呼んで」と最後通告として私は呼ばれたのでした。  
 スタッフさんに「もう、どれだけ勘違いした感じの人かと思ったら、ちゃんとお客様のこと考えられるじゃない。それなのに何故これを出してきたの?あなた自分の作品をすすめられなかったでしょ。」と言われました。  接客させていただいたお客様と仲良くなって「あなた作家さんなの?」「そうです」「どの作品なの?良かったら貰っていくわ。」と言ってくださった。でも、それまでのやりとりの中でその方の趣味趣向がわかったので、その方のお正月には相応しくないと思って、私のはすすめられませんでした。そんなところも見られていたようです。
 企画展の数週間前「アテンドに来てみてはどう?」と言われました。「旅費は出すから。」と。  
会場でお客様からの「お正月の玄関を飾りたいのよね。」といったご相談に「この作品を買われるんだったら、こういうのもありますよ。別の作家さんのものですが、一緒に置かれたらお正月感が出ていいですよ。」という風に応えていました。その様子を見ていたスタッフさんが「一生懸命アテンドをしている姿を見たから言わせてもらうね。」と。実は、私が毎回的外れなものを出してくるので「もう、あの子はいらない。」「あの子は断った方がいい。」といった声が現場から出て、「あの子、ちょっと一度呼んで」と最後通告として私は呼ばれたのでした。  
 スタッフさんに「もう、どれだけ勘違いした感じの人かと思ったら、ちゃんとお客様のこと考えられるじゃない。それなのに何故これを出してきたの?あなた自分の作品をすすめられなかったでしょ。」と言われました。  接客させていただいたお客様と仲良くなって「あなた作家さんなの?」「そうです」「どの作品なの?良かったら貰っていくわ。」と言ってくださった。でも、それまでのやりとりの中でその方の趣味趣向がわかったので、その方のお正月には相応しくないと思って、私のはすすめられませんでした。そんなところも見られていたようです。
ウェルネスハウスSARAIにあり、井上さんプロデュースの一室「龍」
ウェルネスハウスSARAIにある、
井上さんプロデュースの一室「龍」
 「私たちもお客様に喜んでいただきたくてこの売り場を構えています。皆様に喜んでいただける商品を1つでも多く並べたいと思っています。」「あなたの商品にもスペースをとっています。けれどその1区画だけデッドゾーンになっている。作ったあなたもすすめられない商品。私たちもおすすめできません。」と言われました。
 そのことがあった次の年。その年は辰年のお正月向けの年でした。急に思考を変えることは出来なかったけれど、前年のことは深く心に刺さっていました。今までの荒々しいテクスチャーのお皿に龍の絵を黒一色で「搔き落とし」の技法を使って描きました。苦肉の策でした。  
 そのお皿は初めてバイヤーさんに褒められました。そして思いもかけない程の注文もいただきました。さらにアテンドの時のスタッフさんからも「昨年、強く言いすぎたことが、こういう形で実を結んだことが嬉しい」といったお手紙をいただきました。
 「私たちもお客様に喜んでいただきたくてこの売り場を構えています。皆様に喜んでいただける商品を1つでも多く並べたいと思っています。」「あなたの商品にもスペースをとっています。けれどその1区画だけデッドゾーンになっている。作ったあなたもすすめられない商品。私たちもおすすめできません。」と言われました。
 そのことがあった次の年。その年は辰年のお正月向けの年でした。急に思考を変えることは出来なかったけれど、前年のことは深く心に刺さっていました。今までの荒々しいテクスチャーのお皿に龍の絵を黒一色で「搔き落とし」の技法を使って描きました。苦肉の策でした。  
 そのお皿は初めてバイヤーさんに褒められました。そして思いもかけない程の注文もいただきました。さらにアテンドの時のスタッフさんからも「昨年、強く言いすぎたことが、こういう形で実を結んだことが嬉しい」といったお手紙をいただきました。
 他人に対して強く何か指摘することは精神的にも体力的にも大きな負担です。普通なら何も告げず、メンバーから外せばいいだけのことです。にもかかわらず、私にアドバイスをしてチャンスをくださった。感謝しかありません。  
 この時から私は「搔き落とし」という技法を用いて作品を作るようになりました。そして「龍」はとても大事な存在になったのです。  
 思えばこの件に限らず、節目節目に助言してくださる人やお尻をひっぱたくが如く叱咤して激励してくださる人が出現するように思います。例えば日展に出品することになったのも、ある熱量の多い方の影響でした。私が今も陶芸を続けられているのは、その方々との出会いのおかげです。そのいずれもなかなか面白い話なのですが、それはまた別の機会に。  
 他人に対して強く何か指摘することは精神的にも体力的にも大きな負担です。普通なら何も告げず、メンバーから外せばいいだけのことです。にもかかわらず、私にアドバイスをしてチャンスをくださった。感謝しかありません。  
 この時から私は「搔き落とし」という技法を用いて作品を作るようになりました。そして「龍」はとても大事な存在になったのです。  
 思えばこの件に限らず、節目節目に助言してくださる人やお尻をひっぱたくが如く叱咤して激励してくださる人が出現するように思います。例えば日展に出品することになったのも、ある熱量の多い方の影響でした。私が今も陶芸を続けられているのは、その方々との出会いのおかげです。そのいずれもなかなか面白い話なのですが、それはまた別の機会に。  
私にかかわってくださった全ての人に感謝を。
私にかかわってくださった全ての人に感謝を。
プロフィール
兵庫県姫路市に生まれる
2000年
専門学校飛騨国際工芸学園陶芸コースを修了
2002年
石川県立九谷焼技術研修所を卒業
中村陶志人工房に勤務する(〜2020年)
2013年
九谷焼伝統工芸士(加飾部門)に認定される
2017年
伝統と創造現代九谷焼の旗手たち
(富山市佐藤記念美術館/10月7日-12月3日)に出品
明治維新150年・萩陶芸家協会設立 25周年記念展 茶陶の現在−2018 萩
(山口県立美術館・浦上記念館/12月2日 - 2018年1月8日)に出品
第56回日本現代工芸美術展(東京都美術館/4月19-24日)に「龍」)を 出品、 現代工芸新人賞を受賞
改組新第4回日展(国立新美術館/11月3日-12月10日)に入選
2018年
改組新第5回日展(国立新美術館/11月2-25日)に入選
2019年
第58回日本現代工芸美術展
(東京都現代美術館/4月18-24日)に <かしましい駱>を出品、現代工芸賞を受賞
NEW KUTANI - contemporary Kutani ceramics by Masako Inoue & Kayoko Mizumoto (ミュンヘン/ Micheko Galerie / 5月10日-6月13日)に 出品
2020年
井上雅子展 頭-KASHIRA-(日本橋三越本店本館6階美術サロン/6月 24-29 日)を開催
改組新第7回目展(国立新美術館/10月30日-11月22日)に入選
2021年
Collect art fair - Collect 2021 exhibitors(ロンドン/Crafts Council /2月24日-3月24日)に Micheko Galerie より出品
刻む展(能美市九谷焼美術館・五彩館/9月14日-11月7日)に出品 高雅絢爛展 九谷焼の今(小松/サイエンスヒルズこまつ/9月 18-26日)に出品
四季折々の情景 美術館に息づく小さな自然たち (名古屋/ヤマザキマザック美術館/10月29日-2022年2月27日)に出品
プロフィール
兵庫県姫路市に生まれる
2000年
専門学校飛騨国際工芸学園陶芸コースを修了
2002年
石川県立九谷焼技術研修所を卒業
中村陶志人工房に勤務する(〜2020年)
2013年
九谷焼伝統工芸士(加飾部門)に認定される
2017年
伝統と創造現代九谷焼の旗手たち
(富山市佐藤記念美術館/10月7日-12月3日)に出品
明治維新150年・萩陶芸家協会設立 25周年記念展 茶陶の現在−2018 萩
(山口県立美術館・浦上記念館/12月2日 - 2018年1月8日)に出品
第56回日本現代工芸美術展(東京都美術館/4月19-24日)に「龍」)を 出品、 現代工芸新人賞を受賞
改組新第4回日展(国立新美術館/11月3日-12月10日)に入選
2018年
改組新第5回日展(国立新美術館/11月2-25日)に入選
2019年
第58回日本現代工芸美術展
(東京都現代美術館/4月18-24日)に <かしましい駱>を出品、現代工芸賞を受賞
NEW KUTANI - contemporary Kutani ceramics by Masako Inoue & Kayoko Mizumoto (ミュンヘン/ Micheko Galerie / 5月10日-6月13日)に 出品
2020年
井上雅子展 頭-KASHIRA-(日本橋三越本店本館6階美術サロン/6月 24-29 日)を開催
改組新第7回目展(国立新美術館/10月30日-11月22日)に入選
2021年
Collect art fair - Collect 2021 exhibitors(ロンドン/Crafts Council /2月24日-3月24日)に Micheko Galerie より出品
刻む展(能美市九谷焼美術館・五彩館/9月14日-11月7日)に出品 高雅絢爛展 九谷焼の今(小松/サイエンスヒルズこまつ/9月 18-26日)に出品
四季折々の情景 美術館に息づく小さな自然たち (名古屋/ヤマザキマザック美術館/10月29日-2022年2月27日)に出品