「小さい時は絵に特段に興味を持っていたわけではなく、小さい時から書道を習っていたこともあり、高校では書道を専攻しました。漢詩などの授業を通して筆で書く線の面白さに気づいたことは、今につながっていると思っています。」
「小さい時は絵に特段に興味を持っていたわけではなく、小さい時から書道を習っていたこともあり、高校では書道を専攻しました。漢詩などの授業を通して筆で書く線の面白さに気づいたことは、今につながっていると思っています。」
 以前はOLで道路設計のCADデータを扱う職場で働いていました。 20数年前なので今みたいに全てはデータ処理で終わるような作業ではなく、出力したものに赤字を入れては提出するというような、ほぼ手作業な仕事です。そういう事務的な作業をやりながら、ある日、この仕事は私がやらなくても、世の中の道はどんどん現場の人の手で綺麗になっていく。しかし、この仕事で私は何かを生み出しているわけではない。何か自分でも何かを生み出す仕事に就きたい。と思うようになり、体の調子も悪くなったこともあり離職しました。
 以前はOLで道路設計のCADデータを扱う職場で働いていました。 20数年前なので今みたいに全てはデータ処理で終わるような作業ではなく、出力したものに赤字を入れては提出するというような、ほぼ手作業な仕事です。そういう事務的な作業をやりながら、ある日、この仕事は私がやらなくても、世の中の道はどんどん現場の人の手で綺麗になっていく。しかし、この仕事で私は何かを生み出しているわけではない。何か自分でも何かを生み出す仕事に就きたい。と思うようになり、体の調子も悪くなったこともあり離職しました。
 じゃあ、自分の手で何ができるのかな、と考えていた時のこと、ある日母から、友人で九谷焼の技術研修へ見学に行きたいと思っている人がいるので、クルマで連れていってと言われ、あなたにもパンフレットをあげるからと、もらったものをめくってみると、当時、九谷焼に詳しくない自分が見ても感じるようなすごい講師の方々が作品と共に写真に収まっていて、こういう方々のお話が聞けるだけでもすごいと思ったこと。手でできる仕事は漆塗りや金工など他にもありますが、全部の工程を自分でできるとすると焼き物かな、というイメージがその時に生まれました。それから私も通うことにしたのです。
 じゃあ、自分の手で何ができるのかな、と考えていた時のこと、ある日母から、友人で九谷焼の技術研修へ見学に行きたいと思っている人がいるので、クルマで連れていってと言われ、あなたにもパンフレットをあげるからと、もらったものをめくってみると、当時、九谷焼に詳しくない自分が見ても感じるようなすごい講師の方々が作品と共に写真に収まっていて、こういう方々のお話が聞けるだけでもすごいと思ったこと。手でできる仕事は漆塗りや金工など他にもありますが、全部の工程を自分でできるとすると焼き物かな、というイメージがその時に生まれました。それから私も通うことにしたのです。
 いきなり最初に「なんだか大変なところに来てしまった」と思いました。世の中はデジタル化がどんどん加速しているような中、九谷焼にある多くの技法は、全てが手作業で作り上げられ、技法が受け継がれているということを、学校で目の当たりにしたからです。2年3年と通ううち、講師で来てくださる多くの先生が自分の技法に誇りを持っていて、その技術を惜しみなく伝えてくれるんですね。一生、生き甲斐にできるすごい世界なんだということがひしひしと伝わってきました。
 いきなり最初に「なんだか大変なところに来てしまった」と思いました。世の中はデジタル化がどんどん加速しているような中、九谷焼にある多くの技法は、全てが手作業で作り上げられ、技法が受け継がれているということを、学校で目の当たりにしたからです。2年3年と通ううち、講師で来てくださる多くの先生が自分の技法に誇りを持っていて、その技術を惜しみなく伝えてくれるんですね。一生、生き甲斐にできるすごい世界なんだということがひしひしと伝わってきました。
研修所を出て、和陶房さんに就職しました。和陶房さんは、置き物制作で有名な「マルヨネ」さんが、食器の分野へビジネスを拡張するために別ブランドで立ち上げた工房で、そこで絵の具ではなく粘土を溶かしたもので線を引けないかということを社長が提案されて、最初はスポイトなどを使用していたのですが、そのスポイトを見た社長が、もっと細くていい線が描けるものがあるのではないかといって、盛り絵の具の職人さんを連れてきてくれて「和絵の具使う、口金をつけた道具を自分で作ったらいいよ」と教えてくれたんです。その口金は通常のものと全然違い、穴も小さいし細くていい線がかけました。スポイトと違い、洗うのも簡単なので、道具のメンテナンスも楽にできました。ただ、粘土で細い線を描いてもそこから乾燥し、はがれる原因になるので、水分の調節などは非常に苦労する面もあります。
研修所を出て、和陶房さんに就職しました。和陶房さんは、置き物制作で有名な「マルヨネ」さんが、食器の分野へビジネスを拡張するために別ブランドで立ち上げた工房で、そこで絵の具ではなく粘土を溶かしたもので線を引けないかということを社長が提案されて、最初はスポイトなどを使用していたのですが、そのスポイトを見た社長が、もっと細くていい線が描けるものがあるのではないかといって、盛り絵の具の職人さんを連れてきてくれて「和絵の具使う、口金をつけた道具を自分で作ったらいいよ」と教えてくれたんです。その口金は通常のものと全然違い、穴も小さいし細くていい線がかけました。スポイトと違い、洗うのも簡単なので、道具のメンテナンスも楽にできました。ただ、粘土で細い線を描いてもそこから乾燥し、はがれる原因になるので、水分の調節などは非常に苦労する面もあります。
和陶房さんでは4年ほどお世話になった頃、思い返せば「ろくろ10年」と言われているような高度な技術を要する世界で、自分は研修所を出てからちゃんとしたものを作れていないにも関わらず、納期を守るために、一つ一つを早く、丁寧に均一なものを数多く仕上げなければいけない、そのための全体の製品管理も必要で、自分のせいで作業工程が遅れるとすると失敗は許されないというストレスから精神的に自分が追い込まれていくようになり、ろくろに一時、触ることもできなくなったんです。そんな時、佐藤剛志さんから声をかけていただいて、「ろくろはやらなくていいから、何か他のもの手伝ってくれないか」と誘われ、それで少しずつ、また元気になれたんです。その時に「(このイッチン技法は元々上絵の技法なんだから)粘土で描けるんだったら上絵でも描けるでしょ」といってくれた人がいて、それでやってみたのが最初です。技法に合う素地など、それからいろいろな試行錯誤を経て盛り絵の具で描き出したのも3年くらい前からです。
和陶房さんでは4年ほどお世話になった頃、思い返せば「ろくろ10年」と言われているような高度な技術を要する世界で、自分は研修所を出てからちゃんとしたものを作れていないにも関わらず、納期を守るために、一つ一つを早く、丁寧に均一なものを数多く仕上げなければいけない、そのための全体の製品管理も必要で、自分のせいで作業工程が遅れるとすると失敗は許されないというストレスから精神的に自分が追い込まれていくようになり、ろくろに一時、触ることもできなくなったんです。そんな時、佐藤剛志さんから声をかけていただいて、「ろくろはやらなくていいから、何か他のもの手伝ってくれないか」と誘われ、それで少しずつ、また元気になれたんです。その時に「(このイッチン技法は元々上絵の技法なんだから)粘土で描けるんだったら上絵でも描けるでしょ」といってくれた人がいて、それでやってみたのが最初です。技法に合う素地など、それからいろいろな試行錯誤を経て盛り絵の具で描き出したのも3年くらい前からです。
今も絵の具を調合する上でいろんな試みをやっているのですが、散々やってみて、結果、今の調合に戻ってきていたりしています。多分、これまで技術を伝承してきた人たちも、ずっといろいろなことに挑戦してきたうえで、今の技法に行き着いているんだということを最近になって感じます。そんな、いろんな技法や新しい絵の具が時代時代に開発されてきた結果、和絵の具の美しく華やかな色が、落ち着いた九谷独特の素地と合わさって、派手すぎず、深みのある風合いを醸し出すというようなところまで進化してきと思うと360年くらいの歴史ってすごいなと思います。古九谷だけが九谷焼ではなく、赤絵、金襴手、青九谷、青粒・白粒、花詰、釉裏金彩・銀彩と多様化し、技法として名が残りました。そして現代は作家の個性が多く取り上げられ、作家名が残る時代に変化してきています。美術館にあるようなこれまでの伝統的な九谷焼であれば、好きか嫌いかはっきり分かれると思うのですが、今の新しい作家の感性や技法によって作られた九谷焼も多種多様な広がりを見せているので、その中で多くの方の感性に合ったもの、気に入ったものが見つかるようになれば、そういう器の広さが九谷焼の魅力=人の魅力につながっていくんじゃないかと思います。
今も絵の具を調合する上でいろんな試みをやっているのですが、散々やってみて、結果、今の調合に戻ってきていたりしています。多分、これまで技術を伝承してきた人たちも、ずっといろいろなことに挑戦してきたうえで、今の技法に行き着いているんだということを最近になって感じます。そんな、いろんな技法や新しい絵の具が時代時代に開発されてきた結果、和絵の具の美しく華やかな色が、落ち着いた九谷独特の素地と合わさって、派手すぎず、深みのある風合いを醸し出すというようなところまで進化してきと思うと360年くらいの歴史ってすごいなと思います。古九谷だけが九谷焼ではなく、赤絵、金襴手、青九谷、青粒・白粒、花詰、釉裏金彩・銀彩と多様化し、技法として名が残りました。そして現代は作家の個性が多く取り上げられ、作家名が残る時代に変化してきています。美術館にあるようなこれまでの伝統的な九谷焼であれば、好きか嫌いかはっきり分かれると思うのですが、今の新しい作家の感性や技法によって作られた九谷焼も多種多様な広がりを見せているので、その中で多くの方の感性に合ったもの、気に入ったものが見つかるようになれば、そういう器の広さが九谷焼の魅力=人の魅力につながっていくんじゃないかと思います。
プロフィール
1999年
石川県立九谷焼技術研修所 専門コース卒業
2004年
中村陶志人氏 師事
2018 年
伝統工芸士 九谷焼 加飾部門認定 現在、石川県能美市内にて作陶、 各地で展示会に出展
プロフィール
1999年
石川県立九谷焼技術研修所 専門コース卒業
2004年
中村陶志人氏 師事
2018 年
伝統工芸士 九谷焼 加飾部門認定 現在、石川県能美市内にて作陶、 各地で展示会に出展